東京と愛知から友人2名が訪ねてきた。二人とも地理の研究者なので、どんなところに行っても巡検が成立する、というわけで、宇治市街の巡検を行うことにした。まずは、宇治橋通りのいかにも古くからの商店街、という雰囲気を味わいつつ歩く。
古くからの商店街、というだけであれば全国各地にあるのだが、そこは宇治のこと、最も特徴的なのは、異様に大きい「茶屋存在率」が特徴である。なかには博物館併設のところ、店自体が博物館のような構えのところもある。もっとも、宇治に茶屋が多いのは何も驚くに値することではないが、私が宇治に来て歩いてみて、さすが、と思ったのは、「茶筒・茶箱専門店」が店を構えているということであった。
宇治橋通りをぬけて、お約束通りに平等院へ向かう。時刻はまだ9時前。観光客の姿はほとんどない。拝観券売り場へ近づくと、脇で掃除をしていたおばちゃんが、箒を置いて券を売りに来てくれた。
平等院境内に入るのは3年ぶりくらいかもしれない。あのときは、ちょうど池などの発掘作業が行われており、あちこちにビニールシートがかけられていて落ち着かなかったが、今日はすっかり整然としている。ただ、裏手で宝物館の工事をしており、クレーンの姿が目に付くが。
さっそく鳳凰堂内に入る。典型的な定朝風の本尊阿弥陀如来は昔からあまり心引かれないが、ここで私に魅力的なのは、何といっても雲中供養菩薩達である。なんてことを同行2名に訳知りに説明しつつ、堂を出て、「十円玉の景観」が見える位置に移動。
「十円玉の景観」鑑賞の位置は、さすがにかわるがわる観光客が出入りしている。修学旅行客も次々にやってきて、ざわついた雰囲気である。一応お約束通り、十円玉を取り出して、「この風景だ」と感嘆した上で「ところでこの図からのある方が表だっけ」という会話を交わす、という「セレモニー」を同行者と共にしつつ、ここを後にする。
なにも十円玉の位置ばかりが平等院ではなく、鳳凰堂を中心に、境内をぐるり一周することができる。鳳凰堂真裏の浄土院を通りかかると、鳳凰堂朱印納経所、の看板。それを見た同行者のIが、おもむろに朱印帳を取り出す。彼とは短かからぬ付き合いであるが、このような趣味もあるとは知らなかった。